一番神話

 今年も卒業の季節になりました。学生が新しい世界へ向けて、希望と不安の表情を浮かべながら旅立っていく姿はいつ見ても初々しく素敵なものです。はじめは興味が無かった犬や猫の栄養学に徐々に興味を抱き、その意識が変化していく時間を共有できるのは私にとっても励みになります。ところが、知識が向上してもつねに変わらぬ疑問、それは「どのペットフードが一番良いのか?」ということです。

 世の中は何かと「一番好き」です。よって、「一番」に従うことは何の疑問も持たずに「信用」や「安心」に結びつく傾向があります。特に、自分の知らない分野では、専門家に「一番」を聞きたくなる気持ちはよく分かります。しかし、世の常には「陰陽」の組み合わせです。良いところと悪いところの組み合わせこそがバランスを生じています。ところが、「一番神話」を信じる人々は、「良いところ」しか見ようとしません。天秤は片方だけに錘がついていてもバランスをとることが出来ないように、良いところばかりでは、本来のバランスは崩れてしまいます。よって、両面を知ることでそのものが持つバランスの舵取りができることになります。そして、このバランスの尺度となるのが「基準」です。対象が何であれ、どのようなことが基準となっているかにより、その選択は様々になります。

 ペットフード選びの基準では「安全性、栄養バランス、経済性、嗜好性、消化吸収性、評判、便利さ」などが一般的です。これらすべてが「一番」である商品が望ましいということだと思いますが、それは難しいのが現状です。よって、この中でどれが「一番」の基準なのか?ということになります。ペットを愛する余り飼い主様は自分の要求とペットに本来必要なことをオーバーラップしている傾向があります。そのため、フード選びの基準も混乱しているように感じます。たとえば、「経済性」や「便利さ」は飼い主様の選択基準でありペットには関係がありませんが、フードを選ぶのも、与えるのも飼い主様であることを考えれば、まずは飼い主様の「基準」を優先すべきだと思います。特に「生きていくために必要な」食べ物は選んだところで継続できなければ意味がありません。また、ストックできる場所や期間、飼い主様の生活形態にとって「便利」かどうかも継続できるかどうかに関わっています。自分が出来ることを認識して、初めて「ペット」のための「基準」です。よく聞くのは「よく食べる」「栄養バランスが良い」「安全性の高い」などの面で「一番」です。これだけが基準ならば、ラベルを読めばある程度理解できるため、一番選びはそんなに複雑ではありません。しかし、最も知っていて欲しい基準、それは「ペットの過去と現在の体調」です。身体は健康体であれば、自己調整能力が働きますが、どのどこが崩れていてもその調整能力に狂いが生じます。すると、一般的には良いと評判の高いフードであっても、その良い部分がかえってあだになることもあるのです。よって、自分のコにとってマイナス要因である栄養素が何であるのかを知っておくと良いでしょう。

 つまり、「一番良いペットフード」とは、「飼い主様が納得でき、かつペットの健康状態を維持できているフード」といえるのでしょうか?自分とペットの要求を理解し、そこに知識が加われば「一番神話」は一つの情報源に変わっていくでしょう。

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