茶ケ坂ゼミナール200回記念特別講演

動物病院と理念

茶ケ坂ゼミナール200回記念特別講演
山村穂積

 経営のこつのようなことをしゃべってくださいと金本勇会長より頼まれたが、私は経営についての専門家でも、話すことの専門家でもないことは確かである。たまたま何となく四十数名の従業員を抱えるようになり、またその人達とその家族を食べさせることが出来ているだけなのかもしれない。今日集まられた先生方で私のくだらない話に興味がなければ帰ってください。こんな話聞いても参考になりませんよ。
 その結果は、山村穂積は生意気な野郎だ、呼ぶんじゃなかった。と思う。ではまず話をするに付けての組立方の基本を考えてみよう。それはその話の中で欠点を先に、そしてよい点を後から言うことが大事である。特に会話でははじめにこの野郎と思わせることをいうと、その後真剣に話を聞くようになるし、とらえる感覚が違ってくる。たとえば、”この品物はものがいいんですが高いんですよ”といった場合と、”この品物は高いんですがものがいいんですよ”というように同じことを言っていても受け取る側は違うイメージを抱く。通常同じことを言われても前者の場合はその品物を買わずに別の品物を探す。後者の場合には高いと言うよりも、ものがいいのならば買おうかなと思う。これははじめに欠点となるものやマイナスになることを言ってしまい後から良いことを言う。すると会話というものは後から言われたいいことはしっかり覚えている。これが売れるか売れないかの違いである。
 正しい経営は王道を歩き実践しなくては成功したとは思えない。人間らしい自らの行動や思考というものをコントロールするための規律を自分でしっかりともっていなくてはならない。規律といえば、日本では仏教と言う形の宗教によって、道徳や倫理を日常生活の中に適応させることを伝えている。昔から宗教心の欠落が道徳の欠如を招くものとされている。最近になると、精神的なもの、宗教的なものをとかく否定しがちになり、近代化、科学的と言うのは宗教に全く関係無いものを示すようになった。宗教心、道徳、倫理の概念が否定されたことによって、善、悪の判断基準となる内側に秘めたものが無くなってしまった。獣医師も同様であり普遍的の正しい判断基準を確率すべき時がきている。現在の厳しい競争社会の中で、判断基準を持ち、それに従い、物事を進めていくべきだと思う。人間として普遍的に正しい判断基準を持ちそれに従い行動することが成功への王道をいけると信じている。21世紀を目の前に変わらなければならないのは獣医師自身であることは誰でも判っていることである。
 これらのことをふまえ動物病院経営を考えた場合には理念をしっかりと持つことが第一である。この理念の中には、使命や方針というものをしっかりさせておくことにより人を使用して仕事をする場合には特に必要になってくる。

1.子供の頃の夢

 なぜ獣医師になったかというと、子供の頃の夢がそのまま現在を支えている。夢や志を堅く抱き、責任を自覚して心の迷いが無いことが成長の鍵である。

2.仕事は大事な恋人。恋人から学ぶもの。恋人が発信するもの。

 趣味と恋人の違い。趣味はただ好きだけで行うことが出来、余暇に行い、道を極めることが出来る。恋人は相手があることであり、ただ好きだけでは片思い。それにはすかれなくては駄目。そして道を極めることが出来ない。また、臨床獣医師はただ動物が好きではだめ、ほかに人が好きでなくてはならない。そして仕事に対してその思い入れがある。医者は果たして人をどの程度好きであろうか。

 また、恋人をものにするには、「方程式」がある。

 モノにする=情熱(どうしてもモノにする思い)×方法(あらゆる正当の手段をとる)×時間(モノにするまで時間を惜しまない)

 人よりも一生懸命、正しい方法で、時間を有効に使って努力する。開業獣医師に対して週刊誌をはじめとしたレベルの低いことで騒がれていたが、これには、主題ある人生を送りながら、獣医師道という道をしっかりと一歩一歩後ろ指を指されないように歩くことを続けることである。はじめからプロはいないのであるから、問題を問題としてどうしていくか、自分たちの問題に自分たちで折に触れ言葉や文章にして伝えていく。これが歴史であり文化である。小動物の動物病院は、本格的には戦後でありまだ歴史が少ないないことを認めなければならない。しかし、歴史が少ないのに日本という平和国家で、たまたま平和産業である小動物病院がもてはやされ、ともすれば有頂天になりつつある。これは現在の獣医大学の入学試験のにぎわいは、どうしてこんなに集まるのであろうと当人達がとまどう時代となってきている。お互い人間というモノはよい状態が続くと楽をするもの。新しいモノを求める意欲、進歩向上が無くなる。いつも意欲や熱意を持つとやることが次から次ぎへと新しいことが生まれる。

3.5つの目標

”夢を生かそう”

 夢は誰でも持っているもの。その夢の違いがあることは当たり前。だが夢を持っているだけでは進歩がない。夢を生かせるように努力し夢に向かっていこう。夢が生かされる頃には次の夢が生まれる。

”性格が明るく元気”

 元気であれば誰しも性格が明るくなるもの。健康も仕事のうち。元気をみんなと共有する。そして明るく挨拶や言葉を交わし穏やかに仕事をしよう。

”人の足を引っ張らない”

人をひがんだり、何かに付けつい足を引っ張りたくなるもの。それは自分の生活に自信が無いからである。自分に自信を持って生活すれば人の足を引っ張る必要がない。自然と思いやりの心が生まれるもの。

”人の面倒見がいい”

 人の面倒をみることは大変なことだが、まずやってみて汗を流そう。そして汗の中から知恵を出そう。知恵が出なければ出せる人に聞いたり相談をしよう。それを聞けない人、相談できない人、人の面倒をみれない人は獣医界に必要ない。

”ネガティブワードを使わない”

ネガティブ・ワードとは、否定や否認など打ち消しの答えを使うこと。何事にも積極的で建設的なポジティブ・ワードを使うように心がける。物事何でも考え方次第のプラス思考。ハイと言える素直な心。疲れたではなくくたびれた。日に日に新たに過ごしていこう。

この5つの目標を守っていくと、仕事の上で自然といい方向に向かっていく。日々の生活のな
かでとにかくこれらの問題を自分の問題としてかたずけたほうが生きてる上で気持ちがいい。
基盤は日常の仕事、平凡な仕事を確実に行うと、1年先、5年先と大いに進歩しているもので
ある。

4.笛を持つ羊飼い

 よく二兎を追うものは一兎も得られないと言われるが、自分で追うからであり、自分は笛を持つことによりいくつでも追うことが出来る。二兎を追ってこそ最高のウサギが獲られるとも考えられる。沢山の違った仕事をする。特に自分が得意でないものにおいての仕事は、自分にできないからそれをやらないでは無く、笛を持ってみることは重要である。つべこべ考えず豊かな精神生活を送ると天国への貯金が出来る。人はとかく心ほど変化する妙なモノはない。プライドを捨て、誇りを持つ。プライドも誇りも同じように見えるが、プライドは外に出すもの。誇りは内に秘めるもの。つい攻撃的になったり、うらやんだり、ねたんだり、いろいろあるが、プライドを持っているととかくいろいろの問題が起きる。外に出しているものだから傷も付く。誰も買ってくれない売れないプライドを捨てる。捨ててしまうと気が楽になり問題となることが少なくなると共に、トラブルが無くなる。人は人、とにかく人をうらやましいとは思わない。

5.無意識の感覚に教えられること

”ハヤシとモリの違いを説明できますか”

 言葉で”ハヤシとモリ”というと、自然とその習慣から”林と森”を思う。これが常識であり当たり前のこと。では林は雑木林や竹林、そして杉や檜も林である。森は鎮守の杜など結論から言うと神の宿るところをさす。まず森についてなぜ神が宿るかというと、モリには森、杜、盛、守などがありどれを指しても神様と関係あるように想像できる。古い昔に建てられたお寺や神社はなぜ3百年も6百年も持つのだろうか。それは神の宿る森の3百年もたっているような木が切られ、それらの木で創られた家や社に住むことは計り知れない活力を生み出すものと思う。森は様々な生物を育み守る力がある。小鳥が巣作りをする。動物達が住むほこらも豊富にある。豊かな木の実も豊富にあり、落葉樹の中に住む虫達も元気がいい。小動物たちがかけずり回り、排尿排便をし、またその死骸がある。命つきた生命のその油や血、そして筋肉の栄養分を大地が吸う。その結果非常に健康な強いエネルギーを持った木が天をつくようにのびると想像できる。そういう木で建築をすれば、3百年、6百年という生命力が保たれるといえる。杉や檜だけの人造林であればそのようなエネルギーは無い。たとえ林は森のように大きくても気力を失い去勢されていて元気がない。このような木から家を建てても30年もすればがたがくる。そして元気がないのは当たり前である。神の宿る森はエネルギーを持ち計り知れない活力を持っていることを教えてくれる。従って神社仏閣を建てる際には神を宿す森の木を使用するのである。では、神の宿る木で自分の家を建てたいと思う人もいるだろう。これは自分のことだけを考えており、自分の欲望だけで森の木を切ることは自己満足と欲望と森を壊すだけの結果であり、神を共有する気持ちがない。森はひとつの社会を営ませる場所である。これが総ての社会生活の中の天から与えられた営みと思う。
 この森を作る考え方を動物病院に当てはめてみよう。神が宿さない病院は林である。いくら建物の見た目を良くしても、設備を良くしても、大きな入れ物の病院にしても心が入っていなければ林である。一時的に見た目がよいのでもてはやされてもいずれはだめになってしまう。一度大きな林にしてしまうと森にするには長い年月を要する。森に住んでいてもいつの間にか自分の欲望だけが芽を出し、森の木で自分の家などを建てるとそれは森を壊すだけである。森には神様が宿るということはそこには神を信じる信者が必ず集まる。信者が集まり多ければ多いほど自然と儲かるようになる。儲けは信者がいてから後からついてくるもの。信者と書いてこれを一緒にした字が儲けという字になることから後からつくことがわかる。今日の売り上げは、明日の動物病院を作るのではない、今日のクライアントが明日の売り上げを作るのだ。
 自然の理に逆らわず、森に住み、その中で森の一員となって真剣に生きていれば自然とエネルギーや活力が生み出され、その結果必然的に信者が森を大きくしてくれるもの。動物病院の真の唯一の資産というものは、満足したクライアントとやる気のある従業員であることを認識している経営者である。ということは、現在から将来にわたってクライアントの要求を満たすこと。建物が古びてもサービスでカバーできるが、サービスの悪さは立派な建物ではカバーできない。サービスはいろいろあるが、人それぞれで、人にしてもらいたいと思うことは何でも相手の人にしてあげること。素晴らしい森であればそこを訪れた人はそこで体験した素晴らしい森の体験話を友達に伝え、次から次へと語り継がれ広がるであろうことが推測できる。森が大きくなると、クライアントにとっての動物病院の代表者は院長ではない。クライアントにサービスを提供する従業員なのだ。

6.私の動物病院の十箇条です。

第1条、『獣医師は』、多くの人間の活動の中でもっとも重要である。なぜなら、獣医師は動物の飼育、動物の健康、動物原性感染症の防除、動物の福祉、疾患の比較研究、そのほか公衆衛生、環境衛生といった、人間が基本的に必要としている事柄を相手にするからである。株式会社ホズミの人たちは、これに関わる仕事をしていることで無くてはならない存在である。

第2条、『動物の病気は』、私たちが病気のときに治療して欲しいように治療せよ。そして常にクライアントと動物のことを考え、利益あるようにせよ。そして動物の健康を守ることによりクライアントの心の健康を維持できるように努力せよ。

第3条、『常に正直で素直な心』であれ。ときには、クライアントに嘘をつかなくてはならないときもあるだろう。しかし嘘を嘘とわかっていないことが一番怖い。知らないということは罪である。何物にもとらわれないで真実を見る心。正直で素直になれば、今ここで人間として何が正しいか、何をすれば良いのか、何をどのようにしてあげれば良いのかを把握できる。そして”なぜ”と真剣に考えなさい。

第4条、『物事の事態には』攻撃的であるべきだが、関係者やクライアントに攻撃的ではいけない。彼らには親切にせよ。そして人の言葉に耳を傾け”それは私が・・”という思いやりのある生き方を心がけたい。

第5条、『問題が生じたら』直ちに対処せよ。後回しにしてはならない。悩みがあって当たり前。善人がいて悪人がいる。これで映画や芝居になる。善人ばかりでは面白くない。現実の社会でも同じこと。どんな人間にも、いいところの一つや二つはあるもの。それを発見しよう。順調なときには気が付かない。何か問題にぶつかったときに、創意工夫し改善も進む。何かの問題の弁解には『正解』は無い。お互い協力し合うことが大切なのだ。

第6条、『経営も商売も臨床医学』と同じこと。臨床が出来るということは、実地の体験を多く積み立派な仕事が出来るということ。経営も臨床と同じ様に組み立てよう。どこか悪いところがないか、検査診断をする。そして健康であっても、次に維持をする対策や予防対策まで必要だ。

第7条、『働く』とは、自分を生かすためであり、そして人に力を貸し、自分が生活をするためである。そして、自分の仕事を恋人にしなさい。単なる義務として仕方なしにやっているのであれば、これほどつかれる仕事はない。

第8条、『勉強』とは、人生を豊かにする最高の遊びである。どんなことでも喜んで教えを受け、新しいものを吸収し、勉強する人は、着実に伸びていく。お互い知識を高めると同時に、それを活用する知恵を磨いて高めていこう。求める心さえあれば学ぶことは無限にある。しかし知恵は学べない。これは自分で開発するもので教わるものではない。

第9条、『社会のため、人のため』に奉仕・貢献できなければ何事(事業・仕事)も大きくする必要はないと思う。健康も仕事のうち。そして明日に夢を持とう。夢を持つことが人生においてものすごく大切なこと。そしてその夢が生かせるように努力しよう。会社を大きくすることは社会(クライアント)が決めること。そして思いやりの心で誠実に、謙虚に精一杯答えよう。

第10条、『進歩発展させるには』まだまだいい方法があるはずと知恵を絞り考えていると、新しい方法や工夫が生まれて進歩がある。何事にも好きでなくては成功しない。好きになれば工夫する。山には西からも東からも登れる。自分がその道に苦労を重ね積み上げたら、もっと何とかしたいと考える。その熱意で新しい道を作ることはいくらでもできるようになるはず。そしてその努力には限度がない。努力こそが偉大なことを実現させる唯一の方法である。そしてその道(知識・技術など)を共通の財産として生かすところに進歩発展がある。それが人生の楽しみとなる。

 以上、私の経営理念をとりまとめてみたが、しょせん”畳の上の水泳”を教えたことである。畳の上で水の中での泳ぎかたや息の吸い方など教えたに過ぎない。実際にプールに入りバシャバシャとやってみるが始めからうまくいくわけがない。それでも努力をしていくらか自分で泳げるようになる。その後25メートル泳げればそれ以上努力しない人もいる。何メートル泳げてもさらに泳げるように努力する人もいる。人それぞれであるから、それは自分の努力次第で納得するところである。